「少年愛の美学」稲垣足穂

サド候の夥しい著作は、そのすべてが「それ自ら読まるるを好まぬ本」に属していた。即ち危険文書として永久に闇に葬られようがための情熱によって書かれたということを、銘記すべきである。「無限に意味深い作品とは、消滅すること――人間としての痕跡を残さないで雲霧消散*1してしまうことへの作者の欲望になるのではなかろうか」(マルキ・ド・サド

稲垣足穂「少年愛の美学」 - はしがき

少年愛の美学は予想していたものとは少し違って、足穂たるほ先生のヒップへの愛がひたすらに綴られているという感じで、予想に反していたものの、それはそれで面白かったので、ある種の笑いと共に(失礼。褒めてます)読んでいるのですが、序章のこの引用部分は「まさに!」とおもった次第です。だからこそ読み進めていても、単なる読書の悦楽に身を委ねられるというか、恩着せがましいところがないのはいいなとおもい、こういう興味のない人にはくだらなさの塊みたいなものを描きたいよねと、改めておもいました。

ぼくが最初に稲垣足穂を訪れたときのことである。そこでタルホが言ってくれたのは、「ちゃんと準備をしたら、あとは好きなようにしやはったらええんや」ということだった。

879夜『一千一秒物語』稲垣足穂|松岡正剛の千夜千冊

*1:これは雲散霧消うんさんむしょうの間違いじゃない?と思うけど手元の角川文庫版にはこう書いてある。編者か足穂先生か。どっちだろう。