「ぼくらのせかい ~Suburbs Landscape~」

  1. 心と口と行いと命もてBWV147~主よ,人の望みの喜びよ(バッハ) 鷺巣詩郎 THE END OF EVANGELION 4:51
  2. 素晴らしき世界 中村一義 ERA 4:04
  3. バビロン ハンバート ハンバート まっくらやみのにらめっこ 4:12
  4. 水色の街 スピッツ CYCLE HIT 1997-2005 Spitz Complete Single Collection 3:32
  5. 夢中人 王菲 恋する惑星 オリジナル・サントラ 4:25
  6. SILENT SNOW STREAM Cornelius THE FIRST QUESTION AWARD 6:32
  7. Home Sweet Home YUKI joy 4:44
  8. CALL YOUR NAME 坂本真綾 Hotchpotch 4:17
  9. 朝焼けサラウンド RIP SLYME MASTERPIECE 5:22

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たとえば、生まれた子らに言葉というカードが配られて、誰が支配しているかわからないゲームに強制的に参加させられ、ルールは勝つこと下りても負け。そんなくだらなさでこの世界が出来ているのだとしたら。

こういうゲームがきっとある。『愛してる』という言葉だけを禁じられた状況で、『愛してる』ことを伝えること。『たのしい』という表現なしで……『あなたは私を憎んでいる』確かにそれこそが、われわれの言葉を規定し続ける意志だ。しかしその言葉なしで、われわれの会話が成立しているのは、われわれの限界なのか、余裕なのか。いずれにせよ、われわれの言語ゲームは一つの言葉を排除した上に成り立っていて、この排除された言葉は、一種のオールマイティカードとして常に存在している。常にこの場にとどまろうとする誘惑。本能的にこの絶対の場に吸い寄せられる人々。むしろ本能とは、この場にとらわれることを言うのか。しかしこの言語ゲームにおいてこそ、言葉の快楽は完全となる。ドゥルーズは本当に書くことの喜びを知っていたのだ。もし真実を書こうとしただけなら、決して二人で一冊の書物を書こうなどと思いつかなかったろう。とにかく、楽しい書き方を、ドゥルーズは心底求めていたのだ。真実抜きで、真実を表すことを目標とする言語ゲーム。ここにおいてこそ、あらゆる論証は、完璧な存在を得る。この完璧さという意味でそれを美と呼んでもいい……書くことの喜びがそのまま美と完璧さに連なる。そうだ……これこそ真理だ。

エラー - Yahoo!ジオシティーズ