「ぼくらのまち ~Tales of our town~」
- 空中線 1:26 菅野よう子 tokyo.sora original soundtrack
- ピーナッツ 4:27 中村一義 ERA
- 言葉はさんかく こころは四角 TRIANGLE 3:50 くるり ワルツを踊れ Tanz Walzer
- 木登りと赤いスカート 5:38 坂本真綾 Lucy
- スケアクロウ 4:35 the pillows Wake up! Wake up! Wake up!
- 初花凛々 3:50 SINGER SONGER ばらいろポップ
- Dandelion 5:59 RIP SLYME MASTERPIECE
- 電話をするよ~mc 6:05 UA FINE FEATHERS MAKE FINE BIRDS
友だちに宛ててつくった Mix CD のリスト*1。36分コンパクト。
自分でも気に入ってて結局僕が一番聴いてるかも。でも他のMixも含めて凄い良いと言ってもらえたのでよかった。
今日は雨だねぇ。
*1:iTunesのプレイリストってコマンドAしてコマンドCでリストコピー出来るんだね。リスト出力の方法ちょっとだけ探しちゃった。ためしてみたらあっさり。単純だけどこういうこと出来ないと思い込んでた。
*2:画像はMix CDのイメージで。tokyo.soraの公式サイトより拝借。
Who’s Who of Victorian Cinema
その名の通りヴィクトリア朝時代の映像関係人物録とそれに関連した映像を集めたサイト。リンク先は映像の紹介ページ。映像自体はそんなに数はないです。
貼ったのはリンク先から巡ってyoutubeで見つけた動画。説明文を読むと1896年のロンドンのブラックフライアーズ橋の朝の通勤風景ってことでいいのかな。(参考リンク:ブラックフライアーズ駅 - Wikipedia)
映像は写真や文章では伝わらない部分の資料になります。マナーハウスとはまた違う、当たり前ですけど100%嘘なしの映像ですからね。興奮してしまいます。
シャーリー本、細々と続けてます。夏に間に合わしたい!
1901年、ヴィクトリア朝最期の年のモーカム海岸の映像。繰り返し観てるといろんなことに気付く。とてもいいね。
コミケマップ
pixiv版のコミケマップなんてのが。TINAMIのに登録してますが、こちらは自動で登録されるので集まり方が桁違い。すごいですね。見てるとこの人もpixivにいたんだってのが分かって便利。
アメリカと欧州と日本の漫画・イラストレーション事情の考察
アメリカの商業漫画界はバットマンに代表されるように壮大な二次創作の国。骨格だけいただいて中身でオリジナリティーを育ててる。骨格も中身も作家個人にゆだねられてる個性的な漫画的イラストレーション的表現はシルクスクリーンポスターの販売という市場で育ってる。ある意味日本の同人界に似ている。自分で描いて印刷まで自費出版的に少部数で販売。
日本はその逆。商業界はとにかくオリジナリティー重視。個人的な二次創作はアマチュア界同人界で育ってる。
ヨーロッパはとにかく絵画的。まず絵ありき。そして哲学的。思索しなきゃいけないような雰囲気。似たようなのはアメリカや日本のようには許容されていない印象。
でもだんだんこの三者三様が互いに影響しあっていろんなものが出てきてる。均一化に向かってる面白くない場面もあり、いろんなものを取り入れつつさらに面白いものが出てきつつある場面もある。
でも本当に面白いものはその漫画的イラストレーション的サーフェイスの追求のみに終始しているものじゃなくて、外の世界を見て描いてきているもの。photoshop,photoshopしてる絵はあまり面白くない。サーフェイスが表に出てきすぎている。何で塗ってるかとか塗りがカッコイイとかじゃないもの。
外の世界をなんとか表現しようとするとき、記憶や内面ばかりに頼ると過剰なセンチメンタルやノスタルジーに浸食されてるのが多い。そういうのは写真的な被写界深度やボケ、アレなんかを絵に持ち込んでいて、じゃあ写真でいいじゃんというのが多くて面白くない。そっちの技法は少し違うと思う。
クリアな世界。そのままの世界というのはそういう方向じゃないような気がする。記憶や内面に頼ってるように見えて、実はありきたりの手法技法で視野を囲い込んでるんじゃないか?
見たもののそのままの記憶を表現するとして、それを出す時に反射してるはずが、内部で手近にあるすでに見た記憶や手法に置き換えて出しているにすぎないのではないか。
ハッとした新鮮な発見はその時取り込まれてフィルターがかかってしまう。
そのうち、そんなどっかで見たような景色や情景を追うようになってしまっている人が多い。本当の意味でやってはいけない模倣の始まり。結果似てしまうことと、似たものを探してるだけのことの差は外からは分かり難いけれどあると感じる。
上手く描こうとしてしまう内に新鮮なものが新鮮でなくなって誰かの記憶に置き換えられてしまう。それに気づかない。
下手でもなるべくそのままに出そうとしたものの方が響く。分かる。そうそうこの感じと思うものがある。手法に寄って立っていない。
それも所詮は記憶にすぎないのかもしれないけれど、どうにかして、ただ自分は鏡でしかなくて、見たあれを、そのまま、曇りなく、素直に反射する。そんなものの方が僕は好きだ。
僕もどうにかしてそんな絵を描きたい。なかなか難しい。ダメなところを踏みそうにもなる。